東京都内の港区浜松町駅の周辺の特徴
東京都内の港区浜松町駅の周辺は都心でありながら、素晴らしい景色があるところとしても知られています。
西口方面では地下鉄の大門駅近くにある大門、大門をくぐった先には増上寺、芝公園、東京タワーがあります。
一方では駅東口では、多くのビル群の中に一際目立つのが景観として印象的なのは、何といっても「旧芝離宮恩賜庭園」です。
「旧芝離宮恩賜庭園」はJR浜松町駅の直ぐ東側にあって、駅から徒歩1分であり、まるで駅から直結しているような場所にあります。
ゆえに、都会のど真ん中にあるオアシスといってもいいですし、浜松町駅周辺の第一級の「風景」といってもいいでしょう。
旧芝離宮恩賜庭園とは
旧芝離宮恩賜庭園(きゅうしばりきゅうおんしていえん)は、東京都港区海岸にある都立庭園。大久保忠朝上屋敷の庭園楽寿園が始まりで、宮内庁管理の離宮を経て、大正13年(1924年)東京市に下賜され、旧芝離宮恩賜庭園として公開されました。
この庭園は純日本風の回遊式庭園で江戸期に造作されたと言う歴史的にも価値のある庭園だそうです。
造作当時は東京湾に直接面していて、所謂、海水が庭に入ってきていたともされるところです。
主な見所としては大規模な藤棚や雪見灯籠 、州浜、石組みにより滝を表した枯滝、石柱(旧邸の門柱)、それに 池の中の風流な大島や中島、浮島などが庭園の美観としてよく表しています。
羽田空港を利用する際に多くの人が浜松町でモノレールに乗り換えますが、このときに時間の余裕があるなら、時間調整に旧芝離宮恩賜庭園に立寄ってみてはいかがでしょうか。
旧芝離宮恩賜庭園の見どころとは
ガマ
古くは #ガマ の葉を編んでがま蓆(むしろ)を作り、花穂を火口の材料としたそうです。因幡の白兎でも出てくるように、漢方では花粉を止血薬などに使うなど、人々の生活には欠かせないものだったのではないでしょうか。お花とは違い庭園ではあまり目立ちませんが、凛とした姿に頼もしさすら感じます。 pic.twitter.com/q19uxlsHpL
— 旧芝離宮恩賜庭園 (@Kyushibarikyu) September 2, 2020
建仁寺垣混合の竹垣
竹垣は #万葉集 にもその記述があるように、かなり古い時代に考案されたもののようです。当園入口は、#四つ目垣 と #建仁寺垣 混合の竹垣で皆さまをお迎えしております。#庭園巡り の際には、植物以外の景観もぜひお楽しみ下さい。#大名庭園 #日本庭園 #竹芝 #Tokyo #Bamboofence #台風 pic.twitter.com/lR1tXw77GL
— 旧芝離宮恩賜庭園 (@Kyushibarikyu) September 3, 2020
池泉庭園
#池泉庭園 には、池に舟を浮かべる #舟遊式 と、当園のように池のまわりを歩く #回遊式 の二種類の鑑賞方法があります。回遊式の利点は何といっても人間のごく自然な視点から、護岸や植物を愛でることができる点です。都会のオアシス #旧芝離宮恩賜庭園 で、のんびりお散歩しませんか?#大名庭園 #東京 pic.twitter.com/LkfdPbG4aC
— 旧芝離宮恩賜庭園 (@Kyushibarikyu) August 29, 2020
離宮時代の洋館の跡
さて、この写真の石は何でしょうか?こちらは #離宮時代 の洋館の跡です。当時は離宮のみならず、#迎賓館 の役割も担っていましたが、大正12年の #関東大震災 で建物は壊れてしまいました。残されたレンガ基礎と植物模様の彫刻が施された大理石の一部から、当時の様子を思い浮かべてみませんか? pic.twitter.com/jvxHMouY5Z
— 旧芝離宮恩賜庭園 (@Kyushibarikyu) August 26, 2020
江戸時代以前に渡来したサルスベリ
#サルスベリ が見頃を迎えております。日本には #江戸時代 以前に渡来したようです。鮮やかなピンクと、しっとりとした白、どちらの色も庭園に華やかさをもたらしています。#百日紅(#ヒャクジツコウ)の名前もあるように長い間、私たちを楽しませてくれますね。#日本庭園 #夏 #Tokyo #残暑お見舞い pic.twitter.com/qgPF2XqOLM
— 旧芝離宮恩賜庭園 (@Kyushibarikyu) August 25, 2020
中島は中国で仙人が住むと言われる蓬莱山を表したもの
今日のこの暑さも仙人のように修行をつめば、快適に感じられるかもしれません。当園の #中島 は #中国 で仙人が住むと言われる #蓬莱山 を表したものです。中島の組石は築庭当時のままとなっております。今年の夏は、#旧芝離宮恩賜庭園 で仙人に会える…かも!? #浜松町 #日本庭園 #gardens pic.twitter.com/9Qir3dYCNi
— 旧芝離宮恩賜庭園 (@Kyushibarikyu) August 20, 2020
万葉集に登場する花ランキング堂々1位の萩(ハギ)
#万葉集 に登場する花ランキング堂々1位の #ハギ(#萩)は、その漢字からも分かるように秋を代表するお花です。当園の #萩の小道 を通れば、秋を感じ涼しくなるかも…とはまだいかないようです。暑さ対策しっかりとご来園下さい。#小さい秋 #日本庭園 #夏 #浜松町 pic.twitter.com/gPwAylXBtS
— 旧芝離宮恩賜庭園 (@Kyushibarikyu) August 17, 2020
大久保忠朝が故地、唐津をなつかしみ名をつけた唐津山
今日は #山の日。#旧芝離宮恩賜庭園 の #唐津山 は、初代当主の #大久保忠朝 が故地、唐津をなつかしみこの名を付けたとか。今年は #特別な夏、山登りに行けなくても、当園の築山を眺め、江戸時代の人々の夏を感じてみませんか?お待ちしております。#大名庭園 #浜松町駅北口1分 #Tokyo #gardens pic.twitter.com/98Awf7nIHQ
— 旧芝離宮恩賜庭園 (@Kyushibarikyu) August 10, 2020
大久保忠朝とは
大久保忠隣の孫にあたり、従兄の大久保忠職の養子となる。家督を相続する前より小姓、小姓組番頭を勤め、寛文10年(1670年)、肥前唐津藩9万3000石を相続し、延宝5年(1677年)、老中となる。貞享3年(1686年)には祖父忠隣の領地であった小田原への復帰を果たす。漸次加増を受け、最終的に11万3000石となる。
『土芥寇讎記』における人物評価、特に「謳歌評説」などでは忠朝を、戸田忠昌、阿部正武ら同僚と並べて「善人の良将」と評している。徳川吉宗が世に出るきっかけを作った人物でもある。
なお、現在の旧芝離宮恩賜庭園は延宝6年(1678年)に忠朝が4代将軍徳川家綱から拝領した庭園が原型となっている。
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%85%E4%BF%9D%E5%BF%A0%E6%9C%9D
海の日と旧芝離宮恩賜庭園
今日は #海の日。祝日となる前は #海の記念日 として7月20日にお祝いされていました。明治9年のこの日は、#明治天皇 が東北巡幸の帰途、当時の優秀船明治丸に乗って横浜に帰られた日であります。明治天皇は、明治8年、当園にも行幸されていて、#九尺台 から漁民達の漁業の様子を観覧しました。 pic.twitter.com/1hpZUKGDU3
— 旧芝離宮恩賜庭園 (@Kyushibarikyu) July 23, 2020